秋の「京都吉兆」嵐山と家康の執念
11月、平日のお休みの日
日帰り京都の旅に連れて行っていただきました!ありがとうございました!!!
まずは
豊臣家ゆかりの方広寺(ほうこうじ)へ
タクシーの運転手さんがおすすめ
「観光化されていないから人もいないし、めちゃくちゃでっかい『いわく付きの鐘』があるから面白いよ」と案内してくれました
たしかにでかい!
橦木の高さからも、鐘の大きさ分かるでしょ!
鐘そのものの縦の長さは4.2メートルで、重さは80数トン、厚みが27センチ🤣
ってことは、この鐘楼堂の頑強さもスゴイよね
安土桃山時代の遺物だよ。。。
わたくし、実は、、、歴史力ゼロ😅
安土桃山時代とかって、「ものすごい昔」くらいにしか思っていなくて
何と何の間で、何年ころなのか、、、知らない
青銅の鋳造技術とか建築技術に、ただただ度肝を抜かれる🤪
お寺の歴史をググりました。だいたい400年前の話ね。
方広寺は、豊臣秀吉が建立。秀吉さんのことは存じています。天下統一。
ここに東大寺の大仏よりも大きな大仏を安置したんですって!でも大仏は地震で倒壊
秀吉が死んだ後、息子の秀頼がパパを弔うために寺を再建し、巨大な梵鐘を作ったの。
それがこれ。
梵鐘には銘文が刻まれていて
じーっとみると
「国家安康」
「君臣豊楽」
(もちろん当時は白く塗られてるわけもなく、、、『観光地化してない』って言うけど、少しは狙ってるのかしら)
これにケチをつけたのが、おん年70数歳の徳川家康😱
わざわざ「×家×康」と読み取って、「家康の名を二つに分断するとは😡💢」
「君臣豊楽」を「豊臣が君主として繁栄を楽しむだとーー😡💢💢」と
完全な言いがかり〜!!
天下を完全に掌握したい家康にとって、豊臣家を絶滅に追い込む格好のネタとなり、大坂の陣に至るんですって🥶
そもそも秀頼に方広寺の再建や鐘楼を作るように勧めたのは家康だとも言われています。豊臣家に散財させて貧乏にするためだと
スゴ☠️
背筋がかなりゾワーっと寒くなった
方広寺のお隣は
豊国神社(とよくにじんじゃ)
ズバリ、豊臣秀吉が祀られてる
やっぱりこちらも一旦は家康の命令で廃社となってしまっていたところ、
明治天皇の勅命で再興されたんですって。
「敵の敵は、味方」ってことかしら。
秀吉さん、今は安らかに眠っておられることでしょう
京都に来るなり、歴史を猛勉強しちゃった〜😆🍁
もっと歴史力養わないと。。。って古都で決意しても、現代東京に帰ると忘れる〜
お次〜
浄土宗の本山のひとつ知恩院
でっかい山門前で記念撮影
山門の内側から街を見下ろす🍁
息をのむ美しさ
そしてお昼
今回の旅の目的は、ほかでもない
吉兆本店でのお食事😆😆😆
初夏にも連れて来ていただきましたが、秋の味覚もということで、再びお相伴にあずかることに✌️イエイ✌️✌️
女将さんも、もちろん仲居さんもフェイスシールドつけてお灼してくれる
美味しい美味しいお料理を安心して味わう事ができました🙏
クエ、蟹、マナガツオ、鯛、イカ、マグロ、キャビア、カラスミなどなどたくさん頂きました
秋のお庭も本当にきれいで、日の傾き一瞬一瞬を切り取ってとっておきたい感じでした🧡
最後は絶品の吉兆カスタードで締め🤲
吉兆さんは、この11月でちょうど創業90年✨すごいですよね〜 いただいたマスク入れもゴージャスでした
訪問の記念撮影の時だけフェイスシールドを外して笑顔😊
素敵な京都旅をありがとうございました❗️
祇園の小径にて自撮り中😆
ここの通りで、なんと白無垢と袴姿の婚前前撮りカップルを10数組見ました〜微笑ましい光景🤣
以上
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